仏事あれこれ(11月)
【問い】
最近家族が亡くなった縁で、浄土真宗でお参りをしてもらいました。
宗教とは全く縁がなかったので、お別れ会の様なものをすれば良いと思っておりましたが、親族からやっぱりお寺さんに来てもらって、拝んでもらいなさいと言われたのでそうしました。
お寺さんに拝んでもらう意味はなんでしょうか。
また拝んでもらえないと、何かあるのでしょうか。
男性
【応え】
何の為にお勤めをしているのか、お勤めをしたらどうなるのかという大変正直な問いを頂きました。
今までは、家にお仏壇があったり、三世代が同居していた縁、また法事やお葬式などを通して、人生の先輩達から色々聞きながら、何となく学んでいました。
しかし核家族化や、東京や海外へという就労状況の変化から、宗教のことや家族の歴史などを聞く機会が減りました。
お葬式だけでなく、結婚についても、式も披露もしないという時代になってきているようです。
多様な理由がある事と思いますが、自分の知らない「繋がり」を考えていくことに合理性を感じない事が多分にあるようです。
例えば、家族葬という言葉を考えます。
「葬」は、死という字を草冠と草で包んだ字です。
縁の有った人たちで先立たれた大切な方を包み、弔い、御礼を言いつつ、一人一人の今を考える場にしてきました。
ですから敢えて名前をつけるなら、今までは「有縁葬」(うえんそう)として大切に営まれてきました。
しかし人間関係の希薄化や急速な時代の変化、またコロナを縁にしてその営みは一気に変わってきました。
確かに変わってきてはいますが、縁の有った者にとっては、寂しい営みの時代が来たという感想でしょう。
前置きが長くなりましたが、質問に戻ります。
無宗教であるかないかにかかわらず、先立たれた大切な家族を弔おうとする事に何の不都合もありません。
その上で敢えて僧侶にお勤めしてもらう意味を考えるならば、「有縁」と言うことを深く頂いて、亡き人を偲びつつ、仏様より道を与えて頂く為であります。
そこのところを来月号で考えてみたいと思います。つづく。