仏事あれこれ(4月)
【問い】
亡くなったあと49日間過ごすのは何か意味があるんですか?
【応え】
(5回目の応えです)
家族が亡くなった後、どのように過ごせばいいのか、お参りはどうすればいいのか、大変迷うところですね。
今回は4週間目をどのように過ごす事が仏さまより願われているのかを尋ねましょう。
この週は亡き人を普賢菩薩の徳を伝える方として仰ぎます。
普賢菩薩は「慈悲」の菩薩です。
慈悲とは、人の「憂い」に寄り添い、嫌わず見捨てない優しさを言います。
私たちは縁あってこの身を借りてこの世に生まれ出でました。
だから最後にはこの身を返さなければなりませんし、帰らなければな
りません。
しかし返すタイミング、帰るタイミングがいつなのか分からないので、ついつい生きる事に執着してしまいます。
あるお寺の掲示板に「生は偶然、死は必然、死を忘れず、今日を生きる」とありました。
どのような縁で、いつ終わるとも知れない今を生きているのですから、そのことを忘れない事が大変重要になります。
もし死が必然である事に本当に頷けたなら、「物があっても無くても良し」、「損した得したと比
べて一喜一憂する必要もなし」、「頂いた命を頂いたままに生きて、死んで良し」という今を生きる事が出来るのでしょう。
しかし私達はそんな単純に頷くことは出来ません。生まれ出でた世の価値観や、出遇った人の影響に
よって、生きる事に執着し、返すことも帰ることも受け入れられません。
そして物に執着し(貪り)、比べて一喜一憂(ケンカ)し、自暴自棄(愚痴)という苦しみが始まります。
その様な私達に、死は多くのことを教えます。
いのちは返さなければならない事、一生は一瞬だという事、そして別れは非常に寂しいという事。
また私は支えられ続けていた事、言うべき事は言っておかないと必ず後悔する事など、自分の努力では絶対に気付けない事をたくさん教えます。
4週間目と言いましたが、関係性によりその時期はまちまちです。
しかし大切な方の死から教えられる事は、普賢菩薩の如く尊き優しさです。
亡き方を拝んでいるつもりで、実は亡き方より拝まれていたのです。