仏事あれこれ(2025年7月)
【問い】
高校生の娘が宗教者に成りたいと言いました。
宗教は怖いイメージがあります。
何と言ってあげたら良いのでしょうか。
【応え】
その④
過去3回にわたり、大変難しい説明ばかりで、かえって混乱させているのではと反省していますが、娘様の大切な決断の意味を丁寧に尋ねていけたらと思っています。
宗教を確かめる目安として、教祖と呼ばれる一人の人が尊く、教祖の教えさえ聞いていれば救われると説く「一(いっ)尊(そん)教(きょう)」の宗派は避けて下さい。
何故ならば、自分以外の人に救われるという事は、依存するという事です。
苦難や困難、災難に遭った時ほど、依存することで癒やしや安定を得られることがありますが、それは本当の救いではありません。
お釈迦様は「一尊教」(依存)を大変警戒され、避けることを勧めています。
ではどのような救いを勧められるかと言いますと、「自らを依り処とせよ(❶自灯明)」と言われます。
あなたを救うのは、あなたの中から溢れ出る、「一度の人生を私らしく生きたい」という心(欲生心)だと教えられます。意欲といってもいいでしょう。
しかし迷っている時に、自分を依り処にする生き方(自灯明)は中々出来ません。
だからお釈迦様は、色々な言葉を尽くして、あなたが立派に歩けるようになるまで、そばを離れませんと言われます。
これを(❷法灯明)と言います。
私の中より起こる欲生心と、お釈迦様の教えの共同作業で救われていく道を「二尊教」と言います。
「私があなたを救います」という一尊教には絶対に近寄ってはいけないと再三教えられます。
苦難・困難・災難に会う度に一喜一憂する人間には必ず宗教が必要です。
それは宗教団体という意味ではなく、私自身を支える根本(宗)の教えです。
難が無い人生(無難な人生)を願うのでは無く、どんな難が来ても受けとめていける道を与える宗教こそが依り処となるでしょう。
親子で、色々な難に込められた意味を語り合えるような宗教談義が出来る事を念じております。