仏事あれこれ(6月)
【問い】
亡くなったあと49日間過ごすのは何か意味があるんですか?
【応え】
(7回目の応えです)
大切な方を亡くして6週間(42日)が経ちました。事務的な手続きなどでバタバタされているか、何も手につかないか、過ごし方はそれぞれです。
何かの拍子で、走馬灯のように共に過ごしたことが思い出されたり、有難うや申し訳なさに胸が押しつぶされそうになったり、突然あふれ出す涙に戸惑ったり、自分でもコントロールできない自分自身に出遇い続けます。
仏様の中に、弥勒菩薩という方がおられます。
この方はお釈迦様が亡くなられて56億7千万年後にお生まれになって、お釈迦様と同じ覚りを得ると言われている仏さまです。
そんな遙か未来に生まれる仏さまが私達に何の関係があるのでしょうか。
親鸞聖人が和讃で弥勒菩薩を讃えておられます。
五十六億七千万
弥勒菩薩はとしをへん
まことの信心うるひとは
このたびさとりをひらくべし信心を得れば56億7千万年を待たなくても今すぐ覚りをひらくでしょう
ここに出てくる年数は、どれだけ努力を重ねても絶対に覚る事は出来ない事を表しています。
しかし信心を得れば、56億年待たずとも、今すぐ覚りを開くことが出来るとあります。
「信心とは驚き、うなずき、目覚めることをいうのです」と先月号に表紙に掲載しました。
努力を積みかさね、立派な者になる事ではなく、立派であろうが無かろうが、自分の全体を支える働きに出遇って、驚き、うなずき、目覚める事を信心を得たというのです。
亡き人は、残った者にたくさんの事を教えます。
失うことで本当に求めていたものに出遇う者や、すでに出遇っていたんだと気付かされる者。
反対に、失ってもなお争わざるをえない自分に落胆する者。死は今まで見えていなかったものや、自分自身の多くを見せます。
その一つ一つに驚きうなずき目覚める自分自身に向き合う時、弥勒菩薩の如く私自身が開かれて行くのでしょう。
自力だけで信心を得るには、56億7千万年では足りないでしょうね。