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異なることを歎ぐ 其の6

~ 異なることを歎ぐ~第一条 其の6

第一条は、主語もなく突然始まります。
これは説明ではなく、感動が言
葉になったからでしょう。
感動したときは、「うまい!」と言わずにおれ
ないのと同じでしょう。
今一度、感動の始まりに尋ねたいと思います。

①弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて、往生おばとぐるなりと信じて、念仏もうさん
とおもいたつこころのおこるとき、すなわち②摂取不捨の利益にあずけしめたもうなり

《私訳》
私に先立って救いを求め、私の本当の苦悩を知ってくれる善き人との出遇いがあったので、どれだけ苦悩多き人生であっても、教えを依り処にして生きて往こうと思えました。

(第一条・本文)

「弥陀の誓願」と「摂取不捨の利益」

①「弥陀の誓願」とは、阿弥陀如来が私達を平等に救う48個の願いです。
中でも「どのような人生であっても、この人生で良かったと言える者にさせる。
させる事が出来なかったら私は仏に成らない」という18番目の誓願が一番大切にされてきました。
その誓いを②「摂取不捨の利益」(摂取したら絶対に捨てない)とも言います。
どちらも阿弥陀如来の救いの表現です。
一方で私達の現実はどうでしょうか。
「どのような人生であっても、この人生で良かった」と言えているでしょうか。
また自分を見捨てないで頑張っていけてるでしょうか。
摂取不捨とは、人間を善し悪しで見ない生き方です。
都合が悪くなったり、自分一人ではどうしても担えない問題が起こった時でも、動揺せずに頑張れていけてるでしょうか。

こころのおこるとき

始まりに主語がないのは、感動から始まっていると確認しました。
著者である唯円の感動は、自分一人の努力で、人生を喜び、動揺もせず頑張って生きることは中々出来ないけれども、阿弥陀様のように選ばず嫌わず私に接し、歩みを共にしてくれて道を指し示す師(親鸞聖人)に出遇えました。
そういう善き人との出遇いが無かったら、自分の人生に自分が手を合わせ、教えに耳を傾けるという心が起こる事はなかった」という感動が、「歎異抄」を書かせました。
出遇いで人生が動きます。

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