異なることを歎ぐ 第四条 其の二十三
~ 異なることを歎ぐ~ 第四条 其の二十三
仏様の慈悲とは、私たちに苦しみの本(もと)を報せ、歩むべき道を与えることを言います。
究極の優しさとも言えるでしょう。
その優しさが実現したら大変素晴らしい事ですが、優しさにも二種類あると親鸞聖人は教えてくれています。
(『歎異抄』本文)
慈悲に聖道・浄土のかわりめあり。
聖道の慈悲というは、ものをあわれみ、はぐくむなり。
しかれども、おもうがごとくたすけとぐることきわめてありがたし。(超訳)
優しさに聖道と浄土という二種類の優しさがあります。
まず人間の思いを中心とした優しさ(聖道)は、いのちあるものに同感し同情し、愛おしみ育てることです。
しかし思い通りにその優しさを実現し、いのち全体を満たす事は大変難しいことです。
二種類の優しさ
二種類ある優しさの一つは、「聖道の慈悲」と言われます。
聖道とは聖(ひじり)の道と書きますので、人一倍努力をし、人間としての理想を掲げ、道を究めた人です。
そのような方の優しさですから、普通の人の優しさではありません。
まず「ものをあわれむ」とあります。
憐れむとは、「あぁ我」という意味で、「私と同じだ」という感覚です。
いのちあるものの悲しみに同感し、同情出来る力があるのです。
それは同じように悲しみ、そしてその悲しみを我が悲しみとして歩むという意味です。
そして「はぐくむ」優しさです。
悲しみが喜びに変わるまでずっと寄り添い、我が子のように愛おしみ、育てるという優しさです。
このような優しさに包まれた人は本当に幸せでしょう。
しかし本文では、聖道の慈悲では思うように助けることはできないと書かれています。
先月の蓮華蔵で、人間には六つの苦(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天)があり、そしてどれだけ修行を積んだ優れた人であっても、六道を輪廻することは免れない事を学びました。
ですから聖道の慈悲が実現することが望ましいし理想ではありますが、助けとぐることは非常に困難で思ったように助けることはまことに有り難いことだと言われています。
かわりめあり
上記本文の初めに、優しさには「かわりめ」があると書かれています。
人間の思いから出た聖道の慈悲とは、質の違う優しさがあると親鸞聖人は言われます。
その優しさを「浄土の慈悲」と言います。