異なることを歎ぐ 第五条 其の三十四
~ 異なることを歎ぐ~ 第五条 其の三十四
この世に生まれて来たという事は、望むと望まざるとに関係なく、人と人の間を生きなければなりません。
当然ですが、一人で生きる事も、一人を生きる事も出来ません。
ですから人にとって最大の課題は、「どのような関係を生きるのか」と言っても過言ではありません。
その事を大切なテーマとされた親鸞聖人の言葉に聞いていきましょう。
(『歎異抄』本文)
専修念仏のともがらの、わが弟子ひとの弟子、という相論のそうろうらんこと、もってのほ
かの子細なり。
親鸞は弟子一人ももたずそうろう。(意訳)
尊き人生をどのように歩んでいこうかと、自分自身を深く訪ねていく者同士の中で、あの人は私のグループの者だ、よその仲間だと言い争うなど大変愚かな事です。
私(親鸞)は、共に歩む者を弟子などと思った事はありません。
関係性を生きるとは
人は、この世に生まれ出た瞬間から、関係性を生きる事を強いられます。
赤ちゃんの時は、母との関係は必須です。
どれだけ父の存在が大きくとも、母無しでいのちを維持することは出来ません。
ですから無条件に自分の全体を委ねるしかありません。
少し大きくなると、自分の周りにいる人を認識し、この人といると楽しいな、この人は怖そうだなと好き嫌いが出てきます。
そして段々と自分の事が分かりだすと、他者と比べる心(分別心)が起こります。
私はあの人より大きいな小さいな。私は出来ないけど、あの人は出来る。私は持っていないけど、あの人は持っているなど、「有る無い」「出来る出来ない」と比べ出します。
一旦比べだすと、無条件に身体を委ねていたあの頃にはもう戻れません。
そして自らの分別心によって損得の感情が引き起こされます。
それが他者よりも上だと感じたい「優越感」と、何故私だけがと卑下する「劣等感」です。特に劣等感に堕ちると苦しいものです。
そして優越感を維持する(自分を守る)為の一つの策として仲間作りがあります。
それは同時に仲間はずれを引き起こすという意味です。
劣等感を抱きたくないという心が起こす私たちの最大の防御です。
私たちには仲間作りをし、他者を排除する事によって、優越感を得る(自分を守る)という業(体質)が備わっています。
その事を前提に、第六条の言葉に聞いていきたいと思います。