仏事あれこれ(2024年6月)
【問い】
「墓じまい」を考えていますが、「しまう」という言葉にすごく抵抗を感じます。
自分の代で「しまう」ことに罪悪感があります。
どうすればいいのでしょうか。
【応え】
昨今は「墓じまい」だけでなく、「仏壇じまい」も多くなっています。
親世代が亡くなったり、実家に住めなくなったとき、御内仏(おおないぶつ仏壇)をどうしようかと、たくさんの方が悩んでおられます。
まず「墓」が大切にしてきた二つの願いを確認します。
「墓」は、上が「莫」(ばく)と書き、無くなると言う意味があります。下は「土」なので、土に無くなる、大地へ還っていく事を願いとしました。
命ある者はすべて大地に育てられたので元へ還るという意味があります。
もう一つは、墓地には六地蔵があります。六地蔵には、地獄(孤独)・餓鬼(貪り)・畜生(空しさ)・修羅(争い)・人(迷い)・天(自惚れ)という六つの迷いの日常を超えさせて、私たちに本当の安心を与える七つ目の道、仏道に出遇わせたいという願いがあります。
そして先立たれた方々を、私に仏道に遇わせる仏になられたと仰いできたので、墓石の表には「南
無阿弥陀仏」や「倶会一処」と刻み、手を合わせてきました。
つまり亡き方々を、手を合わす者の依り処とし、仏道を与える仏様になられたと敬い、親しんできたのがお墓であります。
散歩の途中や御命日、また正月やお盆など、六つの迷いの日常を走り回り、私たちの曇った心を晴らすが如く、依り処となってくれていたのが、「お墓」の大きなはたらきでもあります。
それ故に、「しまう」ことに抵抗があるのは当然のことでしょう。
そして「墓」には、もう一つ積極的な名前があります。
「廟」(びょう)といいます。
私たちの本山は東本願寺ですが、正式な名前は「真宗本廟」(しんしゅうほんびょう)といいます。
この「廟」を理解していただくと、「しまう」という罪悪感から、積極的な歩みの始まりになるのでは
ないかと思います。
次号で確かめましょう。