あとがき(2024年6月)
●手を合わす場では、当たり前の尊さを教えて頂く
●「亡き母より父の食の好みを聞いていたが、母の好みを知らなかったことに気付いた。自分の事より父の事を大切に思っていた優しさに、別れてから出遇った」。「娘が、亡き母の声を忘れたくないから、録音した声を聞いている。亡くなって初めて、当たり前の事が支えになっていた事を教えられる」。「良く喋る夫だと呆れていたが、亡き今、静かすぎてなんとも言えない寂しさに包まれる」。「ガンが見つかって身心共に下を向いている。元気ってどうやったら出るのか分からなくなった」
●当たり前の事が当たり前でなくなった時、普通であったことが特別な事であったと驚く。そしてもっと大切にしておくべきだったと、後悔や感謝に包まれる。そう気付けたならば、これからは隣にいる人との特別な今に、今在る事に、感謝し大切にしていこうと誓う。がしかし、日常生活に流されて、誓いを受持し続ける事が甚だ難しい。どれほど難しいかというと、むちゃくちゃ難しい
●日常に流されても、立ち止まり、特別な今を確認出来るとしたら、やはり仏前か命日なのだろう。当たり前の尊さに遇わそうとする仏に合掌。