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仏事あれこれ(8月)

【問い】

亡くなったあと49日間過ごすのは何か意味があるんですか?

【応え】

(9回目の応えです)
人類の歴史は、苦しみと悲しみと空しさの繰り返しと言っても過言ではありません。
とりわけ死別によって与えられる苦しみ悲しみは格別です。
亡き人との関係が深ければ深いほど、キチッとお別れすることも、生きて往くことも困難
になります。

お釈迦様は、八十歳で亡くなられました。
「死は生ある者の事実なのだから、一喜一憂しなくても良い。姿形は無くなるけれども、あ
なたの中で無量寿の仏として生きるのです」
と弟子の阿難に言われました。
しかし阿難は、頭では分かっていても、寂しさと悲しみがあふれだし、お釈迦様亡き後どのよう
にして生きて往けば良いのか分からなくなりました。
そのように歩むべき方向が分からずフワフワした生き方を中有(ちゅうう)とか中陰(ちゅういん)といいます。

一般的な理解では、中有(中陰)しているのは死者であり、四十九日間は彷徨っているので供養してあげる期間として過ごします。
しかしお釈迦様と阿難の関係を、私事として考えたとき、仏様から供養されるべきは亡き方ではなく、悲しみに暮れ中有する私たちなのではないでしょうか。

死に対して中有する私達ですが、関係が薄く無関係の死に対しては、私たちは残酷なほどに無関心です。
どれだけ悲しい出来事でも、どれだけたくさんの人が傷ついていても、真に心を寄せることは容易ではありません。
戦争の悲惨さが伝えられ、少しは心が動いても、他人事として捉え、命の尊さを考え続ける事は困難です。
その状態こそが中有かもしれません。

しかし仏さまは、そのような私たちだからこそ、「どんな命も一度きりで代わることができない尊いいのちなのですが、誰もが人生に中有してしまうので、互いに手を合わせ教えを聞いて欲しい」と願い続けています。

49日間は、亡き人の為と思っていましたが、深く味わってみると、私達にとって大切な期間であった事が確認できました。
大切な問いを有難うございました。

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