仏事あれこれ(2024年9月)
【問い】
得度を受けて僧侶になるには、御経の意味をちゃんと理解して、特別な修行がいるのでしょうか。
【応え】
仏教徒は、お釈迦様と同じ明るさを得たいと願う方達によって起こりました。
その明るさは、「何歳でもどんな人生でも、無条件で尊い今を私は生きかされている」(天上天下唯我独尊)という目覚めです。
このような明るさに、能力や、修行の多少は全く関係ありません。
お釈迦様のエピソードを通して、明るさを確かめてみましょう。
お釈迦様のお弟子にパンタカという兄弟がいました。
兄は優秀でしたが、弟は物覚えが悪く賢くありませんでした。
次第に弟の無能さが恥ずかしくなった兄は、ある催しに弟を誘いませんでした。
気になったお釈迦様は弟の元へ行き、「得意な事は何か」と言葉をかけました。
「掃除が好きです」。
「ではこの箒で、塵を払い、塵を払いと言いながら掃除をしなさい」と言われました。
催しの場に戻ったお釈迦様は、「人間の中に欠点のない者はいるだろうか。
また欠点の無い者に私の教えは必要だろうか」と言われました。
それを聞いて、自分の愚かさに気付いた兄は弟の元に駆けつけました。
すると弟は「塵を払い、塵を払い」と言いながら輝くばかりの明るい顔でひたすら壁を磨いていました。
そこで兄はお釈迦様が伝えたい明るさが分かりました。
力の優劣や修行の多少を比べて一喜一憂している自分の顔は非常に暗く、弟の明るさとの違いは、「他者と比べる心(分別心)」であったことを覚りました。
そしてお釈迦様の教えを学ぶ事も自分を優位に立たせる為で、勘違いしていた事の愚かさに気付き、自分の心の中にこそ塵がある事に気付かされ、底抜けに明るい弟の笑顔に思わず合掌していました。
このエピードから教えられることは、僧侶とはたくさんの知識を得て特別な者に成るのではなく、どんな人生でも敬い合い、明るく生き合う今を大切にする事が願われている事です。
余談ですが、漫画「天才バカボン」に出てくる「レレレのおじさん」は、この弟がモデルになっています。