サンガの建設129
その時は突然やってきて、人間性を変える①
沖縄にある「ひめゆりの塔」にお参りしてきました。
沖縄戦の激しさと残酷さを学んできました。
そして79年前の話ではなく、今、世界で行われている事と、何ら変わらない事を感じました。
改めて、平和を願うと同時に、ひとたび争いが起こった時に暴露される、人間の醜さを学んでおく事の大切さを思いました。
終戦間近の1945年(昭和20年)3月から3ヶ月余り、太平洋戦争は沖縄での地上戦になりました。
初の地上戦ということもあり、米軍の力の入れようは半端ではありません。
沖縄の海が戦艦で真っ黒になった映像がありましたので、とんでもない数の米兵が押し寄せてきました。
3ヶ月で、日米合わせて20万人が亡くなりました。
しかし兵士よりも多い、6割の12万人の沖縄の方が犠牲になりました。
沖縄の方々が巻き込まれた背景と、殺し合いの中で育まれる人間性を、少しだけですが学ばせて頂きましたので、報告させて頂きます。
米兵の数に対して圧倒的に少ない日本は、兵力不足を補うために、沖縄県
民を「根こそぎ動員」しました。
その中に、「沖縄師範学校女子部」と「沖縄県立第一高等女学校」の教師・生徒240名が看護要員として動員されました。
二校の愛称が「ひめゆり」だった為、「ひめゆり学徒隊」と呼ばれました。
動員の主な内容は、女子は看護活動です。
小高い丘に壕を掘り、2段ベットに負傷兵を寝かせ、昼夜問わず排便や包帯交換、そして亡くなった兵を爆撃の中、壕外に運んだりする看護です。
食事も一日に小さなおにぎり一個になり、寝る場所もなく、生理も排便も無くなり、頭にはシラミが湧き青白く痩せ細っていったそうです。
沖縄県民の男子は、砲爆撃の中、物資運び、伝令、橋や電話線の補修に加え、米軍戦車への自爆攻撃をも命じられていたそうです。
ごく普通の生徒達に、突然その時がやってきて、136名が亡くなりました。