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サンガの建設131

その時は突然やってきて、人間性を変える③


1945年(昭和20年)3月23日より始まった、沖縄戦に動員された「240人のひめゆり学徒隊」の歩みを通して、戦争の悲惨さを考えます。

6月18日夜、学徒隊に、突然「解散命令」が言いわたされました。
「君たちは今日までよく頑張ってくれた。郷からは自らの判断で行動するように」との一言で敵の前に放り出されました。
「米兵は、男を八つ裂きにし、女をもてあそんで殺す」と教えられていたため、混乱が起こりました。安全な場所を探して一人でも多く生き延びなさいと言われても、そんな場所などありません。
重症の学友を置いていくのも、砲弾が飛び交う外に出るのも恐ろしく、誰も出ていけません。
「早く出ていけ」と言われましたが、砲弾に吹き飛ばされる者、ガス弾攻撃を受ける者、手榴弾を爆発させる者、海岸で大波にのまれる者、行き場を失い、父母の名前を呼びながら死んでいく生徒が続出しました。
学徒隊に動員された240人のうち117人が解散命令後に亡くなり、結果的には、米軍の包囲網の中に生徒達を放り出すことになりました。

牛島満司令官は、米軍の降伏勧告に応じることなく、6月23日、自決しました。
しかしそれによって沖縄戦が終わらなかったのは、「絶対に降伏せず、最後まで戦え」との命令を出していた為でした。
結局ひめゆりの生徒と教師、合わせて227人が亡くなりました。

爆弾が落ちて友が大けがをした。
そこにいてはみんなが打たれてしまうので、友をのこして逃げた。

「絵本ひめゆり」より

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