サンガの建設130
その時は突然やってきて、人間性を変える②
普通の女学生だった、ひめゆりの生徒達が、戦争という現実にどのように向き合わされたのかを学んできましたので先月より報告しています。
米軍は1945(昭和20)年3月23日より沖縄上陸に向けて空襲と艦砲射撃を繰り返しました。
主に看護に従事させられる事になった「ひめゆり学徒」は二ヶ月ほどしか研修を受けていないにもかかわらず、すさまじい現場に立つ事になりました。
負傷兵の手術や治療は、砲撃が少ない夜間に行われました。
基本は器具の片付けやローソクを持ったり手足を押さえたりの手伝いですが、砲弾で手足がなくなった人、あごをえぐられた人、腸が飛び出している人、火炎放射器で皮膚が焼けただれた人など、むごたらしい傷を負った人ばかりでした。
患者が増えても、砲撃が続くと手術は出来ませんので、傷口が膿んでウジ虫が湧いてきました。
戦争が始まった頃から、徹底して軍事教育を受けてきましたから、必ず日本軍は勝利するという情報一つを頼りにして、頑張りました。
どんなに苦しくてもお国に尽くさなければという思いです。
しかし5月22日、首里城のあたりまで米軍が迫ってきたので、南部への撤退が決まり、ひめゆり学徒達は、傷ついた負傷兵達を担ぎ必死で移動しました。
お国の為に一生懸命だったのです。
ところが6月18日夜、学徒隊に、突然ある通告がきました。