第69号 11月号(2021年)
蓮華蔵


大河ドラマ「青天を衝(つ)け」より
主人公の渋沢栄一は、困難の前に立つ度に、母より言われた「自分の胸に聞きな。それが本当に正しいか正しくないか。あんたがうれしいだけじゃなくて、みんながうれしいのが一番なんだで」という言葉で常に原点に立ち返ったそうです。
困難がない人生はありませんが、自分に立ち返る言葉を頂いたか、否かで随分と人生の歩み方が変わります。

「水馬(みずすまし)」村上志染(農民詩人として宗教的な詩を残された)
方一尺の天地水馬(みずすまし) しきりに円を描ける
なんじいずこより来たりいずこへ旅せんとするや
ヘぇ! 忙しおましてナ!
方一尺とは、一辺が30センチ程の水たまりのことです。どこからきたのか、その水たまりを自分の世界として、ミズスマシがせわしなく動き回っています。ある人が「お前さんはどこからきて、どこへ行こうとしているのかね。まもなく干上がってしまう狭いその水たまりの中で、いのちを終わってゆかねばならないのだよ」と問いかけました。するとミズズマシは、「忙しくてそんなこと考えてませぇん」と答えた。
これはミズスマシになぞらえた例え話です。必ず終わってゆかねばならない今を、どのように生きるのかが問われています。ミズスマシに比べればはるかに長い時間と広い空間を生きているのが私たち人間ですが、「忙しい、忙しい」と走り回っては、毎日我を忘れています。「あれが美味い、これが不味い。あれが欲しい、これはいらない。損した、得した」と、毎日心をすり減らし、目の前の楽しみに耽って、今を忘れて暮らしています。
私のいのちは、どのような背景の中で生かされてきたのか(いのちの来し方)、そして限りある人生を、何を依り処として生きるのか(往き方)という生きる意味を問うことなく終わってゆくのならば、このミズスマシと大差はないのでしょう。それではせっかく頂いたいのちに申し訳ないのではないかと村上さんは問いかけます。忙しいとは、心を亡くすと書きます。
わたし達は、心を亡くしていないだろうか。







