1. HOME
  2. 書き物
  3. 歎異抄を受く
  4. 異なることを歎ぐ 第四条 其の二十五

異なることを歎ぐ 第四条 其の二十五

~ 異なることを歎ぐ~ 第四条 其の二十五

先月に続いて、もう一度「浄土の慈悲」(優しさ)を尋ねたいと思います。
人間の思いを中心にした聖道の慈悲ではなく、仏様の慈悲(優しさ)です。
すべての者を平等に救う優しさとは。

(『歎異抄』本文)

浄土の慈悲というは、念仏して、いそぎ仏になって、大慈大悲心をもっておもうがごとく衆生を利益するをいうべきなり

(超訳)

人間の思いを超えた、浄土(仏様)の優しさとは、先ず私自身が救われなければなりません。
そして共に無条件で包まれ、共に苦しみの本を聞き開き、共に明るい今を生き合うことです。

いそぎ仏になって

仏様の優しさは、まず「念仏して、いそぎ仏になって」とあります。
具体的には「教えを聞いて、救われた者になる」ことです。
これは親鸞聖人の言葉ですから、ご自身が浄土の慈悲に救われたということです。
当然ですが、救われた者にしか、浄土の慈悲は分かりません。
「よく知らないけど、救われるらしい」では何の意味もありません。
まず救われた人がいる事が非常に大切です。

そして「おもうがごとく利益する」ですから、「こうなる事が救いです」という限定された形ではなく、それぞれがそのままで明るく生きて往けることが、浄土の救い(慈悲)として願われています。

慈悲は抜苦与楽

慈悲とは抜苦与楽(ばっくよらく=苦を抜いて楽を与える)と言います。
私達は楽ばかりを求めますが、苦しみの本を抜かなければ、本当に救われた事にはなりません。
反対に、苦の本が分かれば、意外と前を向いて生きて往けるのです。

人が苦しみ悩むその本は、「無明」だと教えます。「無明」とは、教えに自分自身を照らして考えるわけでもなく、だからといって自分に100%の自信があるわけでもないけど、とにかく「力の限り頑張る」事を依り処とする生き方を言います。
この生き方は、自分が「無明」であることが分かっていないので、体調や人間関係で必ず行き詰まります。
その時こそ仏様の慈悲(優しさ)に出遇う時だと親鸞聖人は教えています。
無明を根拠とする人間心の慈悲ではなく、どのようなあなたでも、必ず支え導きますと誓う浄土(仏様)の慈悲にこそ、出遇うべきであると教えられています。

関連記事