異なることを歎ぐ 第六条 其の三十八
~ 異なることを歎ぐ~ 第六条 其の三十八
人と人の出会いは不思議なものです。
喜びを通して出会う事もありますし、悲しい事を共有する事で関係が深くなることがあります。
反対にどれだけ仲が良くても、生き方や考え方など、色々な違いによって関係が壊れることもあります。
そうなると仲が良ければ良いほど、関係を修復することも、違いを認める事も困難になります。
(『歎異抄』本文)
つくべき縁あればともないはなるべき縁あればはなるることのあるをも師をそむきてひとにつれて念仏すれば往生すべからざるものなりなんどいうこと不可説なり
(意訳)
人は縁によって出会い、縁によって別れるものです。
それなのに、「師(親鸞聖人)に背き、他の人の教えに従って念仏を称える者は浄土へは往生できない」などとは、決して言うべきことではありません。
仲間作りが、仲間はずれを引き起こす
人は、誰とも代わる事が出来ない「独り」を生きています。
老いや病い、また大切な方を亡くした悲しみや人間関係悪化によって起こる苦しみや戸惑い。
またどれだけ頑張っても思い通りにいかない苛立ちや空しさなど、代わってあげたいと思っても、代わって欲しいと思っても絶対に代われない独りを生きています。
しかし人間は強くはありませんので、「一人」で生きる事は出来ません。
ですから楽しい時も苦しい時も、同伴してくれる人がいると、前を向いて歩いていこうという力が出ます。
「仲間」や「導き手」がいてくれる事ほど安心で有難い事はありません。
しかし仲間や導き手に依りすぎる事が、かえって苦しみを生み出す縁になると親鸞聖人は教えています。
仲良くなれたからといってずっと一緒にいれるとは限りません。特に違う道を見出せた時は離れる事があります。
その時に「このグループから離れると良い人生を送れなくなるぞ」と言い驚かす事態が親鸞聖人の仲間内で起こりました。
一人一人が求道者である以上、色々な道があります。
しかし仲間作りに一生懸命になると、かえって窮屈になります。
仲間を国に譬えるなら、「他国に行ったり褒めたりした者には罰を与える」になりますし、少人数の仲間でも「他のグループに行くなら懲らしめる」事態になります。
単位の大小にかかわらず、仲間作りに一生懸命になればなるほど、仲間はずれを引き起こします。
妬みや執着からくる人間の危険性を良く知っていた親鸞聖人だからこそ、本文のようにたしなめられたのでしょう。
出会えた縁も不思議ですが、別れる事もまたご縁なのです。独り独りを共に生きる関係性こそが、親鸞聖人が大切にされた仲間なのです。