仏事あれこれ(2024年5月)
【問い】
私は難聴です。年々悪くなっています。
補聴器はしていますが、不快感があり、始終付けていません。
聞き直す事が多いので、家族に迷惑をかけていると思うと、精神的に孤独で辛いです。
70代女性
【応え】
私も難聴なのでよく分かります。
一人で抱え込むしかないと思うと辛いですね。
会話の進行を止めてしまうと思うと聞き直す事を躊躇したり、聞こえてなくても聞こえているフリをしてしまうときなどは、自己嫌悪に陥ります。
何も問題がない事がどれほど素晴らしい事かと思います。
お釈迦様が教えを説かれるときの特徴として、待機説法が挙げられます。
一人一人の悩みに合わせて教えを説かれるので、八万四千部あると言われています。
その中に、キサーゴータミーという赤子を亡くした女性に対する話があります。
生まれてすぐ亡くなった我が子の事実が受け入れられず、あちこちの医師に治療をお願いしましたが、当然どの医師も答えは同じです。
「もう亡くなっていますよ」。
その言葉が耳に入らない彼女にお釈迦様を紹介しました。
すると治してあげますと言われました。
但しお葬式を出した事のない家から「ケシの種」をもらってきなさいと言われました。キサーゴータミーは喜んで家々を回りました。
しかしお葬式を出した事のない家はありませんでした。
「昨年親が死んだ、三年前に兄妹が死んだ、ずっと前に子どもを亡くした、私もそろそろ死期が近い」など、みんなが悲しい事実を受けとめながら生き合っている事を教えられました。
彼女は「ケシの種」捜しをやめてお釈迦様のところに戻りました。
そして「子を亡くした悲しみは無くならないけれど、力の限り今を大切に生きて往きたい」と報告されました。
一人で悩まないで、苦しい事も嬉しい事も生き合う事が大切である事をお釈迦様は教えられたのでしょう。
納得してもらえるような応えもないし、難聴も治りませんが、思いを口に出して、独りでない事を確認する事が大切なので、またお話ししましょう。
独りと感じる事が一番辛いです。