仏事あれこれ(9月)
【問い】
南無阿弥陀仏(念仏)を称えるとどうなるんでしょうか。
また称える必要があるんでしょうか。
德因寺座談会で出た問い
【応え】
上記の問いが出たきっかけは、3年ぶりに再開した「子ども夏のつどい」です。
子ども会ではみんなで「正信偈」をお勤めをします。
初めて参加者もいるので、合掌の仕方や本の扱いなどは説明しますが、何を言っているのか分からないのが正直なところです。
ところが子ども会が終わった後、「お勤めがめっちゃ上手かった」と感動した子がいたと報告を受けました。
その報告に感動しつつ、私たち大人どのような気持ちで手を合わせているのかと座談しました。
これを読んで下さっている皆さんは、どんな時に念仏されますか。
祈願を中心に念仏する事があります。
合格・健康・安泰・必勝・繁盛など色々あります。
中には嫌いな者が不幸になるように念仏する事もあるようです。
またザワついた心を静める為に滝に打たれたり、座禅をするという念仏もあります。
その反対に、自らの心を動かすために、積極的に活動し、深く学び、自らに戒を与える念仏もあります。
前述しただけでも多様な念仏があります。
そのいずれもが、自己の安泰、自己の安心、自己の充実が中心です。
言い換えれば自分からスタートした念仏です。
当然と言えば当然のことかもしれませんね。
しかし子ども会で報告された念仏は、「感動」から始まっています。
感動にも嬉しさ・悲しさ・楽しさ・空しさなど色々あります。
それらの感動から始まる念仏は、自分を超えた世界から与えられた念仏なので、自己だけの安泰・安心・充実という狭さを超えようとする念仏です。
ですから称えたらどうなるとか、その必要があるのかという理屈ではなく、語らずにおれない、
動かずにおれない、手を合わさざるをえない合掌がある事を、子ども会から教えられています。
しかしそのような感動の念仏を願いつつも、自己の念仏になってしまう悲しさも持ち得ていますので、子ども会は大切だなと改めて思いました。