異なることを歎ぐ 第二条 其の十四
~ 異なることを歎ぐ~ 第二条其の十四
関東から命がけで、迷わない生き方を聞きに来た方々に対して、親鸞聖人は、「信知」と「存知」と言う言葉で応えました。 「どうすれば良 いのですか」と問われたら、普通は「こうすることが良いでしょう」と答えるべきところを、「私は阿弥陀様の教えを信じるのみ(信知)で、どの ような生き方が正しいのかは知りません(存知)。 そして、「信じた結果 地獄に堕ちたとしても後悔しません」、とまで言われました。
(『歎異抄』本文)
たとい法然上人にすかされまいらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからずそうろう。
(超訳)
たとえ法然上人に騙されていて、念仏した事によって地獄に堕ちたとしても、私は決して後悔はしません。
「問いの意味」を考えさせる
関東から来た方々は、迷わない生き方を尋ねに来られました。
言い換えればどうしたら幸せになりますかと尋ねにきました。
それに対して、「たとえ騙されていて念仏したことで地獄に堕ちても後悔しない」という答えは非常に理解しにくいです。
地獄に堕ちない方法を聞いているのに、落ちても良いと答えていることになります。
問いを出すときは、自分が納得出来る答えを期待します。
納得や理解が出来ない答えは、「そんな答えを望んでいるのではない」と、違和感や嫌悪感、失意に陥るのではないでしょうか。
という事は、「たとえ師と仰ぐ親鸞聖人であっても、聞く側が理解出来ないような答えを言ってもらっては困ります。
答えは分からないが、あなたはおかしい」と考えているという事です。
しかし親鸞聖人は、人間は自分の都合の良いことしか聞けない事をよく知っています。
では何故このような答え方をしたかと言うと、命がけで問うておることの意味、地獄という事、また頭で理解出来るような答えを聞いても、人は絶対に救われない事を知って欲しかったからです。
続きを味わっていきましょう。