仏事あれこれ(10月)
【問い】
ある研修会で、感謝はダメだと言われました。
浄土真宗は感謝をしないんですか。
男性
【応え】
「感謝」について指摘を受けたとの事ですが、ダメと言われると戸惑いますね。いのちは頂き物だから、感謝しかないと説くのが宗教であり、現代社会でもっとも大切にしなければならないのではない
かというご指摘ですね。
私たちは色んなご縁で感謝します。
老いを感じ、病いに伏した時、それまでの当たり前に感謝します。
また困難で助けられた時は、自身の無力さと他者からの優しさに感謝しかありません。
ですから感謝は非常に大切な事です。
しかし親鸞聖人は「感謝」ではなく「報謝(ほうしゃ)」と言われました。
3つに分けて訪ねます。
①前述しましたように、色んな出来事を縁とする感謝を衆生縁と言います。
これは助かった人から出る感謝です。
助かったので少し優しくなれますね。
②次は法縁です。
感謝出来た人は、出来ていない人に感謝を説きだします。
上から目線ですが、説くことが使命だと思う感謝です。
③三つ目は無縁です。
感謝する手立てが無い状態を言います。
感謝すべきだろうけれども、とても感謝だけで解決出来ない問題があります。
例えば、2万人の被害者を出した東日本大震災を前にして、「自分の所は被害は無くて良かった」という感謝がありますが、よくよく考えると、あなたは大変だけど私は助かって良かったという非常に排他的な感謝になります。
そのような感謝は、自分の身に問題が起こった時には、何故私なのかと、折角の感謝も吹き飛んでしまいます。
親鸞聖人は、自分の感謝を教えに報(しら)されてみると、①衆生縁と②法縁しかない事に気付かされました。
そしてそれらの感謝は、人を眠らせて隣の人の悲しみに無関心になてしまうと慙愧されました。
人間ですから嬉しい時は感謝が漏れますが、その内実を確かめさせる教えを持っていなければ、かえって傲慢な生き方を生んでしまのではないかと教えられます。
研修会では「報謝」を伝えたかったのではないでしょうか。
大切な問いを有難うございました。