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異なることを歎ぐ 第一条 其の十一

~ 異なることを歎ぐ~ 第一条 其の十一

関東より、京都におられる親鸞聖人の元に門弟方が命がけで来られました。
毎日手を合わせ、念仏往生の教えを聞いていても、本当にこれで
良いのかと疑問が出てきます。
それは善き人と離れてみて改めて出てき
た問いです。
直接お会いして聞かねばならないほどの疑問とはどのよう
なものだったのでしょうか。

(『歎異抄』本文)

念仏よりほかに往生のみちを存知し、また法文等をもしりたるらんと、こころにくくおぼしめしておわしましてはんべらんは、おおきなるあやまりなり。

(超訳)

念仏の教えより他に、自分の人生に手を合わせていける道(往生)を知っているとか、その様な経典があるのではないかと考えているのなら、それは根本的な間違いですよ。

救いとは、問う道に立つ事

関東で20年ほど布教活動をされていた親鸞聖人には、老若男女・貴賤道俗を問わず、たくさんの朋が出来ました。
そしてどんな人生であっても、人と比べて一喜一憂せず、自分自身を生きれば良いという親鸞聖人の言葉に励まされながら人々は日々の暮らしをしていました。
誰とも比べることの無い生き方を横超(おうちょう)と言います。
反対に、人と比べて良い者になっていく、上を目指す生き方を竪超(しゅちょう)と言います。
教えに出会えなければ、人間は竪超の営みしか出来ませんが、親鸞聖人の導きで、人と比べることのない横超の歩みをしていました。
しかし京都に行かれた今、関東の人々は竪超の生活に戻り、一喜一憂することになったのでしょう。
それは喧嘩と空しさの絶えない日々なのかも知れません。
ですから居ても立ってもおられなくなり、命がけで親鸞聖人に会いに行かれたのでしょう。

その門弟方の迷いを断ち切るように、「念仏より他に素晴らしい生き方があると思って私を訪ねてきたのなら大きな間違いです。
あなた方の迷いは、回数や形にこだわり、念仏をも優劣の対象にしている事にあります。
ただ念仏する以外は竪超の教えですから全く耳を傾ける必要はありません」と諭されました。
人は優劣を好みます。
故に迷います。
その迷いの本を報せ、自分自身に立ち返る教えが念仏道ですよと応えられました。

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