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異なることを歎ぐ 第一条 其の9

~ 異なることを歎ぐ~第一条 其の9

先月は、仏さまが私達の事を、悩み苦しみ戸惑いが多く、生きる目的が分からず、ただ欲のままに空しく歩む罪深き者よ(罪悪深重煩悩熾盛の衆生)と喚ばれている事を確認しました。
迷いだらけで良いところ
が一つもないので、喚ばれても振り向きたくはありませんが、振り向かざるを得ない者にとっては、非常に大切な喚び声になります。

(『歎異抄』本文)

しかれば本願を信ぜんには他の善も要にあらず、念仏にまさる善なきゆえに。
悪をもおそるべからず、弥陀の本願をさまたぐるほどの悪なきがゆえに。

(超訳)

世の中で叫ばれる善と悪は、すべて人間の欲から出た善悪だから、それに従えば必ず迷う。
だから人間の欲のすべてを見抜く、仏の教えを依り処とし、自分自身で在りなさい。

振り返かざるを得ない時を頂く

罪悪深重煩悩熾盛の衆生よという喚び声に振り向きたくはありませんが、振り向かざるを得ない時がるとしたら、それは人生に立ち止まった時です。

私達は、幼少時より何が善で何が悪かを学び、世の中へ出ていきます。
そして出た世で、また新たな善悪を学びます。
その内に、自分自身の中にしっかりと善悪を形成してゆき、世の中を自分らしく堂々と歩む者に成っていくものだと思っています。
だから仏の教えなど聞かなくても、善悪を分別して歩んでいるという自負心が自分自身の支えになります。
そして知力・財力・体力・権力を保ち続けることこそが幸せへの第一条件だと信じています。
そして、力がない人は、可哀想だが負け組だと言わんばかりの気持ちになります。

しかし必ず人生に立ち止まらざるを得ない時が来ます。
時代や国の情勢変化、また人間関係が上手くいかなくなったり、加齢と共に出来ていたことが出来なくなってきた時です。
言い換えれば信じて疑わなかった善や力が間に合わなくなった時です。
その時初めて、「罪悪深重煩悩熾盛の衆生よ」と喚ばれている意味、そして依り処としてきた善悪は何だったのかと問い、仏の教えを聞かざるを得ない時を頂く事になります。

それは本に書いてある知識を聞く時ではなく、仏の生き方に道を見出したいと願う時です。

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