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異なることを歎ぐ 第三条 其の十九

~ 異なることを歎ぐ~ 第三条 其の十九

この三条は、「悪人正機」(悪人こそ救いの目当て)と言われ、親鸞聖人に出遇うきっかけになる最も有名な条ではないでしょうか。
それは世間の常識とは全く逆な事を言っていると思ってしまうからでしょう。
「悪」が救われるのなら、何の為に「善」があるのかと戸惑います。

(『歎異抄』本文)

善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや。(中略)
そのゆえは、自力作善のひとは、ひとえに他力をたのむこころかけたるあいだ、弥陀の本願にあらず

(超訳)

善人が救われるのだから、悪人が救われないはずがありません。
(中略)
その理由は、自分の力で善をなし得ると思っている人は、一心に本願を大切にする心がかけているのだから、弥陀の本願に沿うものではありません。

自覚的な悪人

本文にある「自力作善のひと」とは、悪いのは他者で、自分は善であると思っている人です。
どれだけ他者から悪だと言われてもその声は届きません。
それが犯罪者であれ、家中のケンカであれ、悪を自覚していない人は、常に自分が善で、他が悪という立場を離れないので、争いが絶えません。

一方、親鸞聖人が言われる「悪人」は、「他力をたのむ人」と言われています。
他力とは他人の力ではなく、自分を生かそう包もうとするはたらきで、そのはたらきを大切にする人を「他力をたのむ人」と言います。

「釘の跡」という親子の話があります。
嘘をつく我が子と共に歩む為に、嘘をつくたびに、父は床柱に釘を打ちました。
随分釘だらけになりました。
子は父の絶えぬ優しさに気付き、嘘を言わなくなりました。
そして本当の事を言うたびに、父は釘を抜いていきました。
とうとう釘は無くなり、父は子を誉めました。
しかし子は「釘の跡は消えません」と涙しました。

嘘をつき続けてきた事、ずっと私を見てくれていた事、本当に恥ずかしい事をしてきた事を、他力の救いによって自覚した悪人からは、他力に背く人間の深い罪を悲しむ涙が流れました。
これはある親子の話です。
世界中で、他殺と自殺が繰り返されています。
今こそ自力作善を辞めて、他力をたのめと親鸞聖人より願われています。

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