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異なることを歎ぐ 第三条 其の二十

~ 異なることを歎ぐ~ 第三条 其の二十

先月に続き、悪人こそが救われると説く「悪人正機」について学びます。
私たちが日頃使う「悪人」は、他者を差して言う事がほとんどですが、そこに救いはなく、むしろ争いしか生み出さないのではないでしょうか。
ではそれ以外の「悪人」とはどういう悪人なのでしょうか。

(『歎異抄』本文)

自力のこころをひるがえして、他力をたのみたてまつれば、真実報土の往生をとしんじつほうどおうじょうぐるなり。
煩悩具足のわれらは、いずれの行にても生死をはなるることあるべからざるをあわれみたまいて、願をおこしたもう本意、悪人成仏のためなれば、他力をたのみたてまつる悪人、もっとも往生の正因なり。

(超訳)

自分こそが善人であるという妄念の心に気付かされて、真の教えに育てられる者に成れたなら、必ず迷いのない今を生きる事が出来るのです。
仏様は、欲望や不安、後悔が尽きない私たちの事を自分事として心配し、誰もが安心して歩める道を用意して下さっています。
だから教えに依りながら、大切な事を見失っていたと自覚出来た悪人こそが、本当に明るい今を、本当に歩むべき道を生きて往く事ができるのです。

他力をたのみたてまつる悪人

「他力をたのむ悪人」とは、勉強して自分の至らなさに気付いていくとか、他者から指摘される事ではなく、「自らの内に、悪を深く報された人」です。

例えば「失って初めて知った大切さ」は、大切なもの(人)を失うまでは、その事(人)の大切さなどは全く意に介さなかったという事です。
それは自分の気付きの有無にかかわらず、ずっと私を支え、包み続けてきてもらっていた事への報謝と懺悔が、何も分かっていなかった悪人だった事を報せ自覚させていくのでしょう。

これは決して勉強して分かることではありませんが、確かに自らの内から、自分の思いを超えて申し訳なかったという気持ちや、一人ではなかったという尊い感動が湧き起こってくるのです。
そして悪人の自覚によって、更なる歩みが生み出されてくると書いてあります。つづく

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