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異なることを歎ぐ 其の4

~ 異(こと)なることを歎(なげ)ぐ~ 其の4

著者である唯円(ゆいえん)は、「伝えること」の大切さと危うさを知っていました。
自分が、どのような者として師の言葉を伝えようとしているのかによって、混乱を招きます。
「歎異抄」と名付けれたところに、唯円という方の、また浄土真宗の歩み方、伝え方の特徴が現れています。

【序】
故親(しん)鸞(らん)聖(しょう)人(にん)の御物語(おんものがたり)のおもむき、耳の底に留まるところ、いささかこれをしるす。ひとえに同(どう)心(しん)行(ぎょう)者(じゃ)の不(ふ)審(しん)を散(さん)ぜんがためなりと、云々。

【現代語訳】
亡き聖人からお聞きして、忘れられないお話しの要点を書き記しておきましょう。ひとえに同じ志の者が陥りやすい不明な点を除く為です。

耳の底に留まるところを記します

自分の歩みが変わるような出来事が起こる時には、必ず善き人との出遇いがあります。
それは同時代の方とは限りません。
遇った事はない過去の人でも、その方の「言葉」や「歩み」に影響を受ける時もあります。
唯円は、一度きりの人生を豊かにしてくれた善き人、親鸞聖人に出遇われました。
そして師の言葉が「耳の底に留まって離れない」といわれています。
しかし困った事に、親鸞聖人に遇えなかった者には、中々唯円のような感動はありません。
言葉を自分なりに想像するしかないので、多くの戸惑いと混乱を招く事になりました。

同心行者の不審

唯円の素晴らしいところは、戸惑う人や混乱させる人を裁くのではなく、私も戸惑い混乱した同心の行者であるという立場を離れません。
文を書くに当たって最も大切にされた事は、分かった者が分からない者へ教えるという事ではなく、親鸞聖人の言葉に真向かいになり、「どのような者の中にも必ず浄土を求める心がある」という一点を外さない事です。

「歎(たん)異(に)抄(しょう)」を普通に読めば、「師の理解と異なっているあなた達の生き方を歎いた書」となりますが、そうではなく共に師より歎異(たんに)されている行者同士として書かれたところに、時代や国を超えて読まれてきた証しがあります。

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