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仏事あれこれ(2024年7月)

【問い】

「墓じまい」を考えていますが、「しまう」という言葉にすごく抵抗を感じます。
自分の代で「しまう」ことに罪悪感があります。
どうすればいいのでしょうか。

【応え】

大切な方が亡くなった後、これまではご遺骨を、墓と寺に納骨し手を合わせて来ることが多くあり
ました。
しかし形ある墓を守っていくことが困難な時代になってきました。
先月は、「墓」とはどういう願いで立てられたのか、そして手を合わす者の依り処としての大切な仏事の意味があることを確かめました。(先月号参照)。

今月は寺に納骨する意味を訪ねます。
私たちの本山は京都の東本願寺ですが、正式には「真宗本廟」(しんしゅうほんびょう)と言います。「廟」は「まだれ」に「朝」と書きます。
「朝」は左が「莫」(無くなる)の略字、右が「月」。
「月が無くなる」ので「朝」です。
「まだれ」に「朝」なので朝陽(光)を照らす建物を「寺」と言います。
仏教で「光」は教えを意味します。
ですからご遺骨を寺に納めるという事は、亡き方を「手を合わす者に教えを伝える仏に成られた」と仰ぐ為であります。

いのちある者は例外なくこの身を大地へ還さなければなりません。
その時がいつなのかは分かりません。
だから尊き今を、後悔無く歩む為に、「教えを聞く場」と「共に歩む道」を私たちに与えくださる仏に成られたと亡き人を仰ぎ敬ってきました。
「場と道」を与えて頂く為に「寺」(廟)に納骨してきました。

墓じまいの背景には、跡継ぎがいない、跡継ぎはいるが仕事で拠点が定まらないなど様々な事情があります。
しかし誰もが、老病死の問題や、人間関係を縁として人生に立ち止まり、道を求める時が必ずあります。
その時の為に、仏様は待ち続け、「場と道」を準備してくれています。

説明が長くなりましたが、「墓」が維持できなければ、「寺(廟)」に安置してください。
そして家族で「寺(廟)」に参り、今を大切に生きる為に「教え」と「道」を仏様から頂いてください。
すると「しまう」のではなく、いよいよ依り処をハッキリさせる縁になると思います。
1度ご相談ください。

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