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異なることを歎ぐ 第一条 其の8

~ 異なることを歎ぐ~第一条 其の8

私達は、呼びかけられると、立ち止まり、「何ですか」と振り返ります。
名前を呼ばれたら迷うことなく振り返ります、呼ばれ方によって
は、自分の事ではないと思って立ち止まることも、振り返ることもありません。
仏様は私たちの事をなんと呼ばれているのでしょうか。

(『歎異抄』本文)

罪悪深重煩悩熾盛の衆生をたすけんがための願にてまします。

(超訳)
悩み苦しみ、戸惑いが深く、どのように生きて往けば良いのか分からず、ただ欲のままに空しく歩む罪深き者よ。
一度しかない今で良しという道を与えるから、どうか我が願いを聞きとどめておくれ。

振り返る名前とは

「歎異抄」では、仏さまは私達の事を、「罪悪深重煩悩熾盛のあなたよ」と喚びかけられています。

罪悪とは、犯罪者という意味ではなく、貪欲(貪り)や瞋恚(喧嘩)の心が自分自身を惑わし、どう生きていいのか分からなくなって愚痴を漏らす悲しき存在であるにもかかわらず、自分自身や他者とキチッと出遇わせる仏さまの教えなど必要ないという生き方をする者の事を言います。
ですから仏さまは私達の事を、罪悪が深くて重く(深重)、そう言う自分である事に気付けない程、自己中心的な生き方が盛ん(熾盛)である「あなたよ」と呼びかけられていることになります。
みなさまなら振り返るでしょうか。
もし振り返ったとしたら、自分自身の生き方を問い尋ねている方でしょう。
しかし現実はなかなか振り向く事は出来ません。
むしろ「振り向くべき人は、あいつだ」と思っているのではないでしょうか。

喚ばれる者である安心

私達は自分の事がよく分かっていません。
経験を重ねふと我に返ると、本当は何がしたいのだろうかと疑心暗鬼になっていることがあります。
ふと我に返らないように、忙しくするのが関の山です。
仏さまは、自力で頑張れば頑張るほど歩むべき道が分からなくなってしまう私達を心配して、喚び続けてくれています。
喚ばれ方にもよりますが、自分の事を喚んでくれる人がいる事は安心ですね。

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