真宗の伝承 七高僧に遇う 其の百四十一
『源空上人(げんくうしょうにん)(法然上人(ほうねんしょうにん))』
親鸞聖人にとって法然上人は、なくてはならない良き人でした。 それは自分にとって良き人であったというだけでなく、死するいのちを生きるすべての者の歩むべき道を示し、生きてくださった良き人として仰がれました。
勢至菩薩として仰ぐ
どなたの中にも、良き人がおられることでしょう。
大変な時に助けてくれた良き人、いつも寄り添ってくれる良き人、気がつけば寄り添ってくれていた良き人がいてくれるからこそ、人は頑張って歩むことが出来るのだと思います。
言い換えれば、今を生きて往く事が出来ている人は、他力(他から与えられた力)のお陰だということです。
ですから他力のない人はいないと言うことです。
法然上人は、親鸞聖人にとって師であり良き人ですが、単に自分に良くしてくれた人としてではなく、勢至菩薩(せいしぼさつ)として私を支え、私に力を与えて下さった良き人でしたと仰がれています。
勢至菩薩とは、阿弥陀如来の脇侍で智慧の仏さまです。
智慧とは、人生に苦悩が襲ってきても、闇の本(もと)を丁寧に教え、本当の明るさを「教え」として伝え、間違いなく救われていく道を歩ませる菩薩です。
観音菩薩と並んで大切な菩薩です。
親鸞聖人は、大切な方を仰ぐ時には必ず、私を救い歩みを与える仏さまのような方と仰がれます。
その感動が法然上人を讃える和讃に綴られています。
念仏(ねんぶつ)のひとを摂取(せっしゅ)して
浄土(じょうど)に帰(き)せしむるなり
大勢至菩薩(だいせいしぼさつ)の
大恩(だいおん)ふかく報(ほう)ずべし道を求め、教えに尋ねる者すべてを包んで、浄土に生まれさせます。
勢至讃 源空上人御本地なり
それはまるで勢至菩薩の様で、深く頭が下がる思いです。
皆さまにとって良き人はどのような人でしょうか。
自分の都合を超えて他力の人として仰がれた親鸞聖人の様な出遇いが、今私たちに願われています。