真宗の伝承 七高層に遇う 其の百四十三
お釈迦様から親鸞聖人にまで教えが伝わるまでに7人の高僧がおられました。 その方々の戸惑いや歩み、出遇いや目覚めを、142回を通して聞いてきました。 7人の高僧方は、時代も国も違いますが、全員が「南無阿弥陀仏」という一語に救われてこられました。 改めて親鸞聖人の言葉を頂きながら、おさらいをしたいと思います。
本願に出偶う
親鸞聖人が書かれた『正信偈(しょうしんげ)』には、七高僧がどうして救われたのかが一言で書いてあります。
明如来本誓応機(みょうにょらいほんぜいおうき)
直訳すれば「如来の本誓、機に応ぜることを明かす」と読みます。
超意訳をすると「私が本当に求めていたものにであえました」となります。
「求めていたものに出遇えた」、本願に出遇えたという感動が、七高僧に共通しているのだと親鸞聖人は言われています。
中々「機」に出会えない
もう少し丁寧に読みますと、最後の文字の「機」とは、一人ひとりの中にある深い要求の事を言います。しかしその深い要求に気付いている人はほとんどいません。
何故かというと、日頃は浅い要求で一喜一憂しているから、中々自分自身の奥にある要求に出遇う事が出来ません。
その証拠に、求めていたものを得ても、また目指していた事を達成しても、次の目標が必要になります。
反対に目標も達成感も必要ないと思っていても、「何かないかなぁ」と、人は常に何かを探しています。決して「これで良し」と満足することがないのです。
ある先生は慢性欲求不満症でずっと苦しんでいるのが人間なのですと教えられます。
言い換えれば、本当は自分の中の深い要求に出遇いたいと思っているのではないでしょうか。
だからといって立ち止まって、深い要求を尋ねるよりも浅い要求で一喜一憂する方が充実感・達成感があると思っているので、「何かないかな」と言いながらも、大切な自分自身の「機」に背き続けているのが人間なのですと仏様は見抜いておられます。
しかし今、七高僧の方々は仏様の教えに出遇えたことによって、「機(深い要求)に出遇えた」(明応機)と感動されました。そして如来の誓いに等しいとあります。